琴線に触れた横溝正史ワールド
なんでかよくわからないのですが、「犬神家の一族」を映画を観てから、あの世界観に妙に惹かれてしまった小学生でありました。(1976年版の角川映画)今考えると、情操教育にうるさかった母が、よく連れて行ってくれたよな〜と不思議でございますが(笑)。当時、テレビでバンバン告知打っていたからか、かなり気になったアタクシは、相当せがんだ記憶が有るので、母が根負けしたんでしょうね(^^;)。この作品を観るまでは、お化けとかが出て来るホラー映画だと思っていました。でも蓋を開けたら、成人向けのサスペンス映画で、残酷なシーンや、ちょっとエッチなシーンも有りましたから、一緒に観ていた母は相当焦りました。と、と、言いたいところですが、母は映画開始10分で爆睡の人でしたから、ある意味穏やかでしたね(笑)。
横溝先生の作品は、家系図がとにかく複雑でしたから、一回観ただけでは把握し切れませんでした。瓜二つの人間というのも、よく登場しましたね。そして、先代、先々代、もっと前の代からの因縁や恨み、妬みといった、人間の「業」的要因が、脈々と子孫にまで受け継がれてしまったが故に起こる悲しい惨劇。そんな設定も多かったですね。人間の「魂の領域」での葛藤が幾重にも絡み合い、また登場人物全てが、強烈なインパクトのオンパレードで、それはもうサスペンス界の、アミューズメントパークと云ったところでしょうか!それだけに、映像の色彩や描写も美しく、その時々の人間の感情の動きが、その映像手法で鮮烈に伝わって来るシーンは圧巻でした。市川崑監督のカット割りと、映像が、特殊なモノクロ映像(専門用語も知らないし、上手く表現出来ないのですが)の使い方も、スリルと緊張感を増幅させ、美しさと狂気とが入り交じった絶妙な世界観が有りました。
洗脳の脅威
「犬神家の一族」を観たのを皮切りに、全作品とは言いませんが、大概の横溝作品は、映画かテレビシリーズ、或いはビデオで観てきました。
テレビシリーズの中では、「真珠郎」が一番印象的でした。母親になってから再度観たら、真珠郎の余りにも残酷で悲しい生い立ちに胸が痛み辛くなりました。一人の金持ち男の身勝手な復讐のため、この世に殺人鬼となるために産み出された真珠郎。その「殺人鬼育成のための洗脳」は、とても惨いもので….本当に「洗脳」は怖いです。人間の倫理的常識を歪めさせ、挙げ句の果てに、自己破壊をさせてしまいます。悪魔に魅入られた人間は、神様が本来与えて下さっている祝福のアイデンティティを完全に失い、また人の祝福まで奪ってしまうんですよね。悪魔に魂の領域をオープンドアしない様に、みことばとホリスピ兄さん(聖霊)満タンにしておく必要がある。そういう状況から救われた現在は、身に滲みて痛感致します。
角川映画「女王蜂」より
先ず、許す事が祝福の一歩
人間て、何処かで、親や先祖から受け継がれてしまった「因縁」を断ち切り、解放されなければ、真に天からの祝福を受け取る事が出来ないと言われます。改めて、推理小説の結末を考えると、許せない心から来る恨みが、殺人という悲しく罪深い復讐という行為に人を駆立ててしまう。でも、そこからは何一つ祝福は創造されません。復讐から、益は生まれないのです。だから、許す気持ちって、凄く大切なんだって、つくづく思いました。
当時は未だ、小中学生だったから、そこまでの事まで考えて観てはいなかったけど、でも観ていたからこそ、そう云った作品から、大人になった今でも学ぶ事が出来るのかなと思うと、世の中には本当に、ムダなんてないものなんですね。
★おやびんが観た、記憶に残っている、主な横溝正史作品【蔵の中、真珠郎、本陣殺人事件、獄門島、 八つ墓村、悪魔の手毬歌、犬神家の一族、女王蜂、悪魔が来りて笛を吹く、三つ首塔、死神の矢、悪魔の手毬唄、仮面舞踏会、病院坂の首縊りの家、悪霊島】