「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」【エペソ4:2627】

聖書

聖書

今日は、ZUMBA®、筋トレ、サウナとこなし、良い汗かいて、良い気分でごはん食べて、さあ午後からのお務め頑張るぞ!!ってぇ〜時に、久々に憤慨というか、情けなくなる様な出来事が勃発!!昔の私なら、その怒りの中から、なかなか抜け出せないでいたでしょう。でも今は違います。これが「敵」(闇の力)からのアタックだって知っているから素早く対処する手段を取ります!ヤツらは、肉体を持っていないから人を使って、人の口を使って仕掛けて来やがります。そうして、人の思い(魂)の領域に侵入し、支配しようと企てるのです!ここのところ、突然怒り勃発事件が久々に群発致しました。火種は大した事でもないのに、やたらガソリンぶっかけた様にアタクシを怒らせようとする訳です!!でも直ぐさまその敵を、ジーザス兄さんの血潮でフン縛り、兄さんの御名前を通して打ち砕きます!そして、アタクシを怒らせる行いをした人の背後に働く、闇の力も兄さんの血潮で縛って、兄さんの御名前の権威を行使し、出ていけと命令!そんでもって兄さんの足元に行って、そっから二度と戻って来るな!!と叱りつけ追い出します。で、おしまい!

ミカエルさん

ラファエロ作「悪魔を退治する大天使ミカエルさん」(画像はイメージです。)ミカエルさん、ご苦労様です!でも、こいつらけっこう懲りないで、その辺プラ〜っとしてから、また帰って来ようとするんだってよ奥さん!ちょっと!どーよ〜!(昔そんな名前のコンビいたわよ〜)聖書にも書いてあります。

【マタイ12:43~45】「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。 そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」

【ルカ11:24~26】「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである。」

聖書

だから、悪霊を追い出した後は、しっかり施錠して、家ん中を聖なるもので満タンにしておく必要があるという事ですわ。アタクシは、このような状態になった人達を見た事があるので合点がいきます。話は反れましたが「怒り」をいつまでも持っていちゃイカンて訳を、判り易く解説してあるページを見つけましたので引用させて頂きます。

悪魔

日本同盟基督教団守谷聖書教会(2009/8/30礼拝説教要旨より)

【「怒っても、罪を犯してはなりません。」直訳は「怒れ。だが罪を犯すな。」といずれも命令形です。パウロは、この言葉を旧約聖書の詩篇44節から引用しています。詩篇4篇は、イスラエルの王ダビデが息子アブシャロムに謀反を起こされた時の歌であると考えられています。聖書は、「怒り」自体を罪とはしていません。例えば、主イエスは、安息日を形式的に守り、ご自身が安息日に人を癒したことを罪とし訴えようとしていた人々に怒りました。(マルコ福音書3章)。また、神の聖なる怒りがあります。「怒り」そのものは「罪」「悪」ではありません。義憤というものが存在します。但し、聖書において、人間の怒りが良い意味で使われているところは一箇所もないのです。怒りを捨てるよう教え(エペソ431)、また人の怒りは神の御心を実現するものではないと伝えています。(ヤコブ11920)義憤さえも、いつ間違った怒りになるか分からないのです。そして、多くの場合、人の怒りは、義憤ではなく、罪と密接に関わっています。自分のプライドが傷つけられて咄嗟に怒ります。自分の思い通りにならなくて激怒します。「愛は怒らず(コリント135)」です。聖書に「怒れと書いてある。だから怒るのだ。」と怒りを正当化することは、大変慎重でならなければならないのです。

ダビデ

さらに、怒りについて教えを続けています。「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」直訳は「憤った状態の上に、日が沈むことがないように」という表現です。ユダヤは、日没から日没までが一日でした。パウロは、怒りの早い解決を教えたのです。怒りを心の中に放置したままにしてはならない、残したままにしてはならないと教えたのです。それは、悪魔は、人間の怒った心に働き易いからです。「悪魔に機会(場所)を与えないようにしなさい。」一時の怒りが恨みや憎しみへと変わることがあるでしょう。怒った感情に流され、普段では考えられない言葉を相手に言い、その人との関係を壊したり、教会の交わりを壊したりしてしまうことがあるでしょう。悪魔は、人の怒った感情に巧妙に働くのです。

パウロ

 では、私たちは、怒りをどう対処していけば良いのでしょうか?パウロが引用した詩篇4篇を見ると、神の前に静まり、自らの心を見つめ、自らの怒りや苦しみを抱え込むのではなくそのまま主に打ち明け、重荷を委ねよというのです。その時に、平安のうちに身を横たえ、眠りにつくというのです。それは、さらに具体的に言うならば、エペソ人への手紙では、古い人を捨て、新しい人イエス・キリストを着続けることです。イエス・キリストは十字架上で、「ののしれられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。(ペテロ22224参照)」キリストは、私たちを愛し、私たちの罪を背負い、十字架にお掛かりくださいました。非は何もないにも関わらず、ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをしませんでした。キリストの十字架上でのお姿は私たちの模範です。但し、模範と言っても、これを模範として、自分の力や決意でこう生きよとは、聖書は教えていないのです。キリストが、私たちに新しい人を着せてくださったのです。キリストは、私たちの苦しみや痛みをご存知です。このお方との交わりに生かされるときに、私たちの心は怒りから平安へと徐々に変えられていきます。

十字架

怒りの感情は、本当に厄介です。日々葛藤でしょう。言われた言葉やなされた行為が思い起こされ、怒りが出てくるでしょう。この週も、様々な状況で怒りが顔を出すでしょう。しかし、私たちの痛み、重荷をご存知の主イエス・キリストに苦しみを下ろし、絶えず主と交わり、怒りを平安に包んでいただきたく願います。「主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(詩篇48)」】

天国

この地上で肉体と魂を持って存在している以上、このような攻撃は日常茶飯事有る事でしょう。でも神様は、ご自分に似せて私達人間を造られたそうですから、私達は、神様の性質を持った存在な訳です。だから何が襲って来ようとも勝利出来る。私は、それを信じています。

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