この世に生きている間は、肉の思い(自分でやろうとする思い。自分の利益のためにやろうとする思い。)との戦いです。肉体を持っている限り、それは仕方ない事なのであります。でも、肉の思いに従って生きている限り、神様からの祝福は受けられないのです。あげたくてもあげられないというのが正しいかな。可愛い子供たちに沢山の美味しいおやつをあげようとおかあさんが準備していても、ポケットを開けない、カバンのチャックを開かない、バスケットの蓋を閉じたままでは、おやつを詰め込んであげたくても出来ないですよね。それと同じです。妬み嫉み、許せない思い等、肉の思いに打ち勝って、天の窓を開き、溢れんばかりの天のおとうさんからの祝福を受け取れる人になっていきたいものです。

ジーザス兄さん

と、云った訳で、本日のセレクト聖句は、「ローマ人への手紙8章」から…..

【こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

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それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

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というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。 肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

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もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

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ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。】

アーーーメン♪